レイルのだらだら草

あくまで好きを語りたいブログです。

旧鋼というアニオリの到達点に17年越しにハマってしまった話。

アニオリという言葉がある。
尺が足りないなどの理由でもって原作の素晴らしいストーリーにねじ込まれるアニメのオリジナル展開。
原作の再現性が何よりも重視される今日では基本的に肯定的な意味で取られることのない言葉だ。
原作を再現しない作品はクソだ。
わかる。本当にそれはわかる。
原作がヒットしてようやく掴んだ大舞台であるアニメ化。
それをアニオリなんていうどうでもいいものでふいにしていいはずがないんだ。
その主張は当然だ。当然なことなんだ。

 

だが。
私はとんでもない作品に出会ってしまった。
かつて私が幼いころに、ストーリーを理解できないながらも大ヒットを記録した名作として心に残っていた作品だ。
その後数年が立ち原作準拠版のアニメが放送され、その作品については黒歴史だという意見も強いアニオリの塊だ。
幼い自分はそのストーリーも理解できず、朧げな記憶しかなく、この際だから見ておこうと思ったのは完全な気まぐれだった。
原作準拠版の話の熱さが心に残っていた私は、当時理解できなかったものをもう一度見てみたいと思って手を出した。
そしてありったけの力でもってぶん殴られた。

 

きっと否定的な意見は大きいだろう。
その気持ちはよくわかる。原作とはかけ離れているから。
今こんな話をしても誰も聞いてくれないかもしれないが、聞いてほしい。
あれは不朽の名作だ。
恐ろしいほどの熱量がこもった作品だ。

 

旧鋼。
鋼の錬金術師のアニメの話を聞いてくれ。

 

鋼の錬金術師。知らない人はいないレベルの名作だろう。
人体錬成という禁忌を犯した兄弟が、失った身体を取り戻すために旅をする物語。
その人間賛歌極まれりな物語は世界中の人々を魅了した。
それまでフラスコを転がし薬品を調合したりといったイメージでしかなかった錬金術という言葉の、今日におけるイメージを揺るぎないものとした伝説の作品だ。

 

だが、旧鋼となると話が変わってくる。
自分を取り巻く世界に全力で向き合い立ち向かい、最後に「錬金術など必要ない、人はそんなものがなくても手を取り合って力強く生きていける」というメッセージを放った原作。
そんな人間賛歌は旧鋼にはないといっていいと思う。むしろ逆だ。
世界に翻弄されつくした兄弟が、最期に縋るようにして辿り着いた「錬金術など必要ない、たった一人の大切な家族のためなら己の命さえ惜しくない」という想い。
それが旧鋼のぶち上げたメッセージだ。

 

原作との差異として、まず挙げられるのが主人公であるエドワード・エルリックだと思う。
なにより弱い。とにかく弱い。とことん弱い。
原作のエドが不屈の精神でもって困難をばっさばっさとなぎ倒していったことと比較すると露骨すぎるぐらいに違う。
本編を通してものすごい勢いで勝てない。弱い。追いつめられるたびに目から光が消える。
こんなのエドじゃないというレベルだ。バリーに追いつめられて泣くとか原作からすれば解釈違いにもほどがある。
というか旧アニメ準拠だった当時のゲーム版エドと比較しても弱すぎるぐらいに弱い。
まともに戦って勝利を収めた展開があったかぐらいに弱い。スロウス戦もあくまで錬金術の応用で勝利したほどだ。
そんな彼が追いつめられた先に、一つの結論を見出す話というのが、旧鋼のテーマだと私は思う。
そして私はそんなエドが狂おしいほど愛おしく思う。

 

また、ロイ・マスタング大佐のキャラ造形もとてもいいアレンジが加えられている。
イシュヴァール殲滅戦において深いトラウマを心に刻まれた軍人というのが、旧鋼における彼の立ち位置だ。
大人として、エドの助けになろうとするが、その行動が結果的にエドを追い詰めていく。
旧鋼における彼は間違いなく未熟な男で、その行動が空回りしているといっていい。痛々しい男だ。
ある局面において彼は「何故私を信用しなかった」という思いの丈を爆発させるシーンがある。
だが、エドとロイの間に凡そ信頼の積み重ねというものがなされていなかったので、視聴者からすれば何を言っているんだこいつはという印象しか残らない。
原作のロイからすればあり得ないほどの大胆なアレンジだ。原作ロイに同じことを言われれば一瞬で堕ちる自信があるが、旧版ロイにはそれがない。
そんな彼が、私はどうしようもなく好きだ。

 

そしてニーナ。旧鋼のエピソードを語るうえで彼女を外すことはできない。
原作では一エピソードに過ぎなかった彼女の活躍は、えげつないベクトルで強化されている。
エドはタッカー一家の下で研鑽を積み、国家錬金術師の資格を得る。
その中で新たな生命の誕生に立ち会うなどの原作における主要なエピソードを経験する。ニーナと共に。
その上で原作のエピソードを辿るのだ。その落差と言ったら。
さらに原作との変更点として、エドは悲劇に遭遇する前に真実に気づき、確認のためにタッカー亭を訪れる。
エドの「もういいよ……」という絞り出すような声がたまらない。
そして何よりそのエンディングだ。
これについてはアニメを見て確かめてほしい。
ストーリーを順に追いつつ、毎話のエンディングをしっかり見たうえで、この話に突入してエンディングを目に焼き付けてほしい。
私はあのエンディングを見て、それまでの全話のエンディングを確認した。エドの表情に至るまですべて。

 

そしてネタバレなので伏せるが、アニメ版のラスボスがまた凄いのだ。
聞いた話だが、旧鋼は製作にあたって原作者との擦り合わせを行い、原作とは違うストーリーにすることを望まれたらしい。
当時の原作の尺の都合で、原作準拠するわけには行かなかった為だ。
原作に置いて、ラスボスは無から生まれて全てを求めたが、ここも対比が効いている。
一個人として生まれて、ある一つのものに対して狂おしいほどの執着を見せる。そんな、あくまで人としての人間臭さを突き詰めた狂人。それが旧鋼のラスボスだ。

 

旧鋼はアニメ史における一つの到達点だ。
アニオリという文化の究極点であると私は思う。
原作の「一を積み重ね全へと至る」物語に対して、旧鋼は「全を経て一へと至る」物語だといえる。芸術的に見事な対比だ。
鏡写しのもう一つの鋼の錬金術師。それが私が抱いた印象だ。
とにかく見てほしい。頼むから見てくれ。
アニオリという印象だけで敬遠するには余りに惜しい作品だ。頼む。
私は間違いなく沼にハマってしまった。だがその沼は乾ききっている。
みんなにこの沼を潤してほしいんだ。一期も二期も死ぬほど愛している。
でも話せないんだ。口にしようものならそんな昔の作品なんて言われてしまうし、原作を無視しているからクソという意見が強すぎて死にそうだ。
誰にも話せないこの気持ちを何とかしてほしい。助けてください。お願いします。

 

今は見れないという人はブラーチャだけでも聞いてはくれないだろうか。

兄弟の贖罪の旅を余すところなく表現した名曲だ。化け物だ。

あと旧鋼の、線路の上に立ち、背を向けて歩いていく兄弟というモチーフは最高の発明だ。

好きすぎて死にそう。見て。いいから見て。死にそう。死ぬ。

露骨なアニオリ独特の捨て回もあるけど、そこは当時の時代背景を想って暖かい心で流し見してくれると助かります。

 

余談だが、私は旧鋼の鑑賞後に興奮気味に妹にその良さを語ったら、幼心にエドの絶望顔が私の嗜好の原点になっていると言われた。
精神的リョナに幼心をいたく刺激された、と。
今ではメイドインアビスを熱く語る立派なサブカル女子に育った。そんな話聞きたくなかった……。